循環たてもの研究塾
現場に案内される途中、理事長の山田さんがいきなり車をとめた。
そして、「この家、おもしろいでしょう」と、吹けば飛ぶようなしもたやを指さす。古びた一本の木の電柱に、プリミティブな鉄のシェードに裸電球。
それも夜にはちゃんとつくらしい。
この「しもたや」。幸か不幸か、また何の因果でと言いたいくらいに残った事実だけがそこにありました。
見れば外の板壁は、不揃いの板が巧妙に張り合わせてある。機械がなかったからと言ってしまえばそれまでですが、機械化が進み機械に頼りがちな今、こんな風にすることはむしろ容易なことではなさそうです。ふと、リンゴ箱を思い出していました。
さて、建築中の現場に到着。外壁から内装までとにかくビッシリと佐賀県産材。それも材料の善し悪しなど、気にすること無く(?)とにもかくにも使っている。材の選別にくらべると、「使わなければ」という切迫感のほうが明らかにプライオリティーとしては先行していました。
その時、死に瀕する山の姿が目に浮かんできた。
瀕死の状態とは一体どういうことなのだろう?それは時間が残っていないことを意味しています。別の言い方をすれば、一刻の猶予がない事態ということです。
ある部分では目的を共有する以上、このNPOのその生き様に対し万感の思いを込めて拍手を送りたいと思います。