学校は誰のためにあるのか。
どんなに著名な建築家が設計した建物であろうと必ず賛否はあります。
無論、建築家個人に対する好き嫌いを含めて全く個人的な嗜好に依拠した賛否の事です。
それを前提に大いに私個人の嗜好によって本年のブログの最終章を書きます。
結論から言えば、
今回訪れた基山小学校は実に素晴らしい学校でした。
さて、度重なる地震の災禍を受け、校舎は耐震性に付いては特に厳しく問われ、加えてコスト高という事から木造が避けられるようになり今やRC が学校建築の主流です。
その上、室内空間の領域でもコスト意識を反映して新建材のいわば偽木による木質化が進みます。これによって耐久性は予定通り著しく向上しました。
そもそも新建材は化学を背景に強靱性、安定性、均一性が要求されるプロダクトなのです。
パフォーマンスが最優先される性格のものです。
しかし、それはパラドックスであって、それを追求すればする程、言い換えれば嘘を重ねれば重ねる程、真実からは遠ざかっていきます。
この兆候は何も学校に限りません。
あらゆる住空間はさながら化学の海です。
そこに高気密、高断熱という条件が付加された現在の住環境は必ずしも良好とは言えません。
空気が澱み、加えて新建材には概ね乾湿の調整機能がありませんからCS(化学物質アレルギー)などという奇怪な病を引き起こしてしまうのです。
そこで何故、基山小学校の住空間が素晴らしいのか?
それはケースバイケースによる使用部材の多様性や採光が非常に優れているという点です。
例えば、風雨に曝されるであろう外部建具は強靭なアルミサッシュを使い、内側には無塗装の木製建具と腰壁は杉の無垢材が貼られています。
また、採光に至っては照明に頼りがちな照度をトップライトで補い、そのほのかな明かりは廊下まで差し込んでいました。
それは省エネにも繋がる有効な設計です。
さて結論です。
最も重要な点はここ基山小学校の校舎が「どうせ、子供の」という学校作りを支配してきたこれまでの思想とは大きく異なり「学校は誰のためにあるのか」を明確にしたことです。
かくして「子供」という主役はみごとに復活しました。
重ねて言います。基山小学校は全く素晴らしい学校でした。
最後に保健室にて「保健室の利用率は低いでしょう?」と尋ねると「そういわれるとそうですね」と先生。
これがすべてを語っています。 (了)
末筆にて恐縮ですがご案内いただいた教頭先生と取材に快く応じて頂いた校長先生に御礼申し上げます。
また、取材をアレンジして頂いた基山町教育委員会の皆様にも御礼申し上げます。
有り難うございました。
「地元の檜をふんだんに使ったランチルーム。」
「部材のトレーサビリティー」
集団下校前、子供たちが集まっていた。
実はここは廊下です。教室よりも広いかもしれません。
音楽室などの特別教室が並ぶ2階廊下部分。
左側は中庭に面しており建具はアルミサッシュ、
右側は教室で無塗装の木製の建具が使い分けられていた。
また、ディティールは上の写真のように
消音と気密性保持のため、
ゴム製の緩衝材が付けられていた。
組み合わせが自由、フレキシブルなブロック状の クラスのサインと音楽教室のサイン。ともに木製。 |
素晴らしい基山町立
基山小学校の木質空間
2階の教室のトップライト。 教室に出来る明闇を調整する為、 内側に位置した暗い廊下側に 設置されていた。 |
教室のトップライトから 漏れてくる光を廊下まで 引き込む為の工夫が素晴らしい。 |
明るい教室
明るくて、ほのかに木の香りがする気持ちがいい教室。