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脊振神社にて

ブログ 2016.03.31

ここは弁財天を祀った脊振神社の下宮である。
今は神埼市に合併された旧脊振村の中心地から登ること5km ほど行った脊振山への登山道の入り口近くにある。
また本殿の傍には珍しい白蛇を祀った小さめの祠があり、大人が身を屈めてようやく通れるくらいの岩を穿(うが)った隧(ずい)道(どう)を通っていかなければならない。

これから先に行くにはここで衆生(しゅじょう)の罪(つみ)穢(けが)れをそぎ落として行けと言わんばかりである。

そこは世に言う「かんながらの道」のようでもある。
私は例年、正月の二日に詣ることに決めていた。今年は体調を崩しそれは叶わなかった。
2月11日、建国記念日。天候は極めて晴れ晴れしくお参りには打って付けであった。意を決して参拝する。
果たして、いつになく霊験はあらたかであった。鳥居をくぐって参道を登っていく。階段の両袖に杉の大木が2 本づつ注連縄(しめなわ)が巻かれていた。注連縄には御幣(ごへい)が結わえられ御神木は一層荘厳である。
その御神木の由緒には佐賀の名木・古木登録番号18592 、樹種 杉樹齢推定400 年とあり昭和51 年に登録されるとあった。
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廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)により檀家を持たない神社は急激に寂れていく。そして多くの社殿は苔むして神は鎮座されている風には見えない。空家と同じである。社殿が朽ち、当然のことのように鎮守の森も荒廃した。近所の神社も2 年に一度の神事があり俄(にわ)かに神がやってくる。
それに初詣のおりのご開帳を除けば、参詣する人は無い。因みに、ここの産土(うぶすな)は猿田彦である。
鎮守の森さえ守れないご時世に里山の復活を叫んだところで、例えは悪いが「仏作って魂入れず」と同じでは無いかと異様なまでの自然回帰趣味を訝(いぶか)っている。シニカルに表現すれば一種のグリーンウオッシャーと言えなくもない。かつて鎮守の森には、お宮さんがあって事あるごとにお参りをして、安寧を祈り、時に感謝を捧げてきたものである。その集いの中に自然発生的に繋がりと言うか地域社会が形成された。
かつて、日本では森羅万象のすべてに神が宿っていた。
日本人の心と直結していた。
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今は寸断、遮断の時代であって、コミュニティーを避ける風潮さえ感じなくも無い。
日本人の心象の風景はすでに霞んで見えない。
林業の復活は我々日本人の祖先が抱いていたであろう木への畏敬を想起する事から始めるべきでは無いか?
この度、脊振神社の御神木を見るにつけ、ふとこんな事を思った。

関光放浪記第3章より