太良町森林組合の村井組合長を訪ねる
話は先ず、かつての木造建築は曲がり材すら巧妙に駆使して建てられられてきたという人間の知恵と自然の摂理とについて、つまり適材適所についてから始まった。
また雨水の75/100を保持するという森林の遮断機能の話では、近年多発するゲリラ豪雨による林地の崩落を絡め森林の保全の重要性を強調する。
殊に過去諫早水害など身近に深刻な災禍を経験してきただけに説得力のある話であった。
樹木の自己施肥機能と表土の重要性についてはそれを軽視する近年の大型機械を導入し、伐採から搬出にいたる林地作業のあり方に問題があるのではと。
時は民主党政権下、大言された木材自給率を20%から50%へという掛け声とは裏腹に想定外に伸びなかった木材自給率の話になった。
なお、これから先は概ね私の個人的な見解である。と云うかこのブログはあらゆる現場の問題や意見を代弁するためにあると思っている。時に異論であったり、時にシニカルである。
さて、自給率アップが数値化されて以降、まるで救世主の如く自給率アップと経済効率を同時に解決するという夢のような話が横行し、木は時に縦に、あるいは横に、はたまた直角に交錯するように接ぎ合わされた実に多様な集成材が開発されたものである。
つい先頃、国立競技場の聖火台設置にまつわる論調の中にも設置箇所には不燃材を使え云々。
燃えない木など、それはもはや木とは言えない。偽木の最たる物である。
確かに多様な偽木の開発によって、自給率は向上したかも知れない。しかし一方で、そのニーズを満たすためには間伐どころではなく皆伐も厭わないと言った有様である。
大型機械導入は大きな作業道を必要とし、またその力は強大である。特に搬出時での表土の削除によって山肌は無残に剥き出しにされていく。
一体、何のための林業なのだろうか?
さながら機械のための林業ではないか。どう見てもあの穏やかな日本の森は消滅の危機にある。復活どころか復活を果たす前に山は大いに崩落するだろう。さらに、福島原発事故以来、代替エネルギー論が喧しい。
その一つにバイオマス発電があり、その燃料のターゲットが国土の70%を占める我が国の森林なのだ。伐採の尺度も?からトンに変わった。
環境破壊による地球温暖化と異常気象は今や世界レベルの話題である。
グローバル経済の進行が地球規模の環境破壊を引き起こすというパラドックスは人間の叡智をはるかに超えている。人間の我欲の果てに満たされて行く経済成長と、その犠牲としての環境破壊との折り合いはなかなか着きそうにない。
最後は村井組合長の話で締めたいと思う。
「適正な森林資源を後世に残す。それこそが国土の保全に繋がる。」この哲学の存在する限り多良岳材というbrandは銘木であり続けるに違いない。
取材は二時間にも及んだ。あいにく雨天で多良岳には行けなかった。またの機会に連れて行っていただくことをお約束いただき、帰路に着いた。
村井組合長には貴重なお時間を頂戴し心より厚く御礼を申し上げます。
関光放浪記第4章より