駅東自治会公民館に塚原会長を訪ねる
駅東自治会公民館は木造平屋建である。大壁仕様で柱は見えない。壁はクロス張りで床はナラの合板のフローリングである。
壁の中の隠れて見えない構造材は全て唐津から供給された樹齢43〜45年の杉や檜材が使われた。
一口に木造建築といっても真壁仕様は現在では稀有である。真壁は日本の伝統建築に多用されいわゆる「和風」と言われるものである。
ところが戦後、日本人の住環境は一気に西洋化が進む。
それはライフスタイルを変化させ洋室化がトレンドになっていった。それは空間が大壁仕様に変わっていくことを意味している。
柱は意匠性を失い、かつての様に角材の大きさや黒檀、紫檀など床柱の樹種を競うこともなくなった。床柱といえば、有名な北山杉の需要も激減したと聞く。最近の家の中から書院が消えたからだ。畳部屋も減った。それゆえ畳表の生産も減り,い草の産地も厳しい状況にある。コスト競争の果てに大半は中国から輸入されているという。
生活様式の変化は一つ一つの使用部材まで多大な影響を与える。
私事ではあるが先頃、10年間住み慣れた上峰から鳥栖へと居を移した。
上峰の借家は和洋折衷のいわば現代風和風住宅だった。一階には畳の部屋が三つあって
すべて真壁仕様だった。一階のリビングと二階の3室はフローリングを伏せた大壁仕様の洋間であった。
合わせて6LDKで考えてみればワイドな住環境に暮らしていたものである。
ところが鳥栖のマンションは3LDK。生活はワイドからコンパクトへ180度の大転換である。
3LDKのマンションは6畳の畳部屋が一室とフローリング貼りの洋室が二部屋と12畳程度のリビングだが壁の仕様は全て大壁である。
また木と「思しきもの」は床と幅木そして建具と建具枠くらいである。何故「思しきもの」かと言えば、すべて偽木だからである。
考えてみればこの公民館で目にした床もそれであった。
県産木材の利用推進の意味からフローリングにも無垢の杉を使って欲しかった。
いや、使うべきだった。その時地産地消に意味が生まれる。郷土愛である。
「三尺下がって師の影を踏まず」という奥ゆかしさも日本人の琴線に触れる美意識だが佐賀県内の公共施設の床をすべて県産杉のフローリングを貼り詰めるくらいの大それた夢を見たい。
確かにコスト優先は避けがたい。
しかし私にはそれにも増して優先されるべきものがあると思えるのだが。
かつて床柱の樹種を競った時代にあった贅やゆとりといった言語は現代ではほとんど意味を持たなくなったようである。
そんな時代ではないということなのだろうか。
「ウザイ」とゆとり世代の嘲笑が聞こえる。
最後にお忙しい中、取材を受け入れていただいた塚原会長に深く感謝申し上げます。
~最終章完結~関光放浪記第6章より